今回は不動産資産でおよそ7億円もの資産をもつ星野陽子さんにインタビューしました。
星野さんの人生はOL時代「何か」を探しては波乱な人生に突入し、最後に大きな成果物を勝ち得た人です。ぜひ最後までご覧ください!
(笠井)
どんなOL時代だったかお話頂けますか?
(星野さん)
はい、短大を卒業した後、製造業の輸出部門で働いていました。主な業務は英語を使って商品を通関させるというものです。私の時代は男女雇用機会均等法が施行されてもまだまだ男性社会が色濃い時代です。そんな時代に自分の「武器」というか、得意といえる「何か」が欲しい、という思いが強いOLでした。「自分には何もない」って思っていましたから。そこで一番自分にとって伸ばせそうだったのが「英語」でした。英語を武器にしようと勉強し、英検準一級を獲得しました。
(笠井)
すごいがんばりやさんなのですね!それは仕事に活かせたのでしょうか?
(星野さん)
仕事では英語を使うので学んだ英語を活かせることはできましたが、特にそれ以上、それ以下でもありません。自分としてはもっと仕事で出世したり、大きな仕事を任されたいと思っていました。業界を知るために3年間ぐらい工場に行って商品のことを調べたり、事務職でも自分でできる仕事の付加価値を見つけては工夫して取り組んでいました。しかしどんなに頑張っても、当時は出張に行くなど活躍のチャンスを与えられるのは男性だけ。しだいに自分の得意な「英語」を生かして、女性もしっかり働ける職場を探すようになりました。そしてCitibankのテラーの求人を見つけたのです。そこに面接に行ったら「2週間後には働けなければ評価できない」とピシャリと言われてしまい、急遽会社を退社させて頂きました。
(笠井)
すごい急ですね・・・そこで会社はすぐに星野さんを手放してくれたのですか?
(星野さん)
恐る恐る、会社に相談したら「快く送り出すから心配いらないよ」と上司が言ってくれました。上司は私が事務職の仕事でも、その業界を学んだり、ある時は業務に関係ない社長秘書の代わりも務めたこともあったのですが、ちゃんと見ていてくれて評価してくれていたんですね。おかげで無事退社できてCityBankに務めることができました。そしてCityBankに務めて間もなく、客として来た主人(元)と出会い、結婚、妊娠して退職しました。
(笠井)
お子さんを出産された後もお仕事はしていらしたのですよね?
(星野さん)
はい、一人目が生まれた時にパートで特許翻訳事務所に入りました。偶然そこが電気分野の翻訳でOL時代に3年間工場で学んだ業界知識が役立ちました。そして2人目の子供が生まれる時にはパートでの継続が難しかったのでフリーで特許翻訳の仕事を始めました。その時は子供が生まれて1ヶ月しないうちに働きはじめましたね。
夫からは10万円の生活費をもらっていましたが足りず、生活のやりくりに苦労していましたから、当時は必死でした。
(笠井)
生活費10万円ですか?なぜ??
(星野さん)
夫は必要になれば「もっと欲しい」と言うはずだと思っていたようなのですが、私は「10万円じゃ足りない」って当時は言えなかったんですよね…苦笑。でも生活費のやりくりはそんなに苦じゃなかったんです。エアコン、テレビなど買えず、夏の暑い日は風呂に水を張って子供と暑さをしのいだり、スーパーの閉店間際に駆け込んで半額になった食品を買っては美味しく頂く方法を考えたり・・・楽しくやっていましたよ。笑
(笠井)
お仕事はいかがでしたか?
(星野さん)
翻訳の中でも特許翻訳が難しかったこと、さらに日本語から英語にする作業も敷居を高く感じている人が多く、やる人が少ない業種でした。
たいてい皆さん「帰国子女でもないし、バックグラウンドもないからできない。」と思う人が多いんですね。だから需要があったのですが、当時の私にとってはとにかくやるしかない状況でした。パートで働きながら仕事の技を盗んだり、勉強と仕事の同時進行のイメージです。
フリーになってからは片っ端から案件を受けて、年商2000万を10年、子供を育てながら達成していました。でも忙しすぎて布団で当時は寝たことがありません。本当のところ、年商2000万円も必要なかったので仕事を減らしたいと思っていたのですが、フリーで働いていたために、一度仕事をお断りしたら2度とこないと思っていましたので、とにかく受けていました。
(笠井)
壮絶でしたね・・・・でもOL時代の仕事が生きたり、
英語で生計たてられているのは最後に繋がって夢が叶っているイメージです。
(星野さん)
そうなんです、振り返ってみると今までの仕事は何かしら夢を実現する糧になっているのです。目の前の仕事をしっかりこなしていくことは、自然と夢へと繋がって行くように思えます。英語もそうですし、仕事のやりがいもそうです。
あと私は文章を書くことが好きなんです。小学校の頃は内向的な子で唯一自分を表現できるのは「文章」だったことから、文章を書く仕事につきたいと思っていましたので。それが後々、不動産を購入したことで本を出版できたことに繋がりました。
(笠井)
不動産投資はいつから興味をもったのですか?
(星野さん)
フリーで特許翻訳していた時「このままだと過労死するんじゃないか?でも子供たちを残して絶対死ねない」と思い、不労所得が欲しいと思い始めました。そんな時にイスラエルの夫の実家を訪ねた時の事を思い出しました。義姉の家に遊びに行った時、義父が「これはね、私がプレゼントした家なんだ。ヨーコもイスラエルで暮らすならプレゼントするよ」と。さらに驚いたのが「実はこの家はタダでゲットできたんだ」と!タダで手に入れた理由は土地を見つけて3階建ての建物を造り、そのうちの1階と2階の部分を売ることで建てた費用すべて精算できたそうなのです。
私の実家はずっと借家で私には不動産コンプレックスがありました。自営業の父は住宅ローンが組めず、4畳の部屋に家族のタンスと妹2人で寝るという劣悪な環境でした。それから「私は不動産なんて一生持てない」という思いがインストールされていたので、義父の話は衝撃でした。
義父はそういった方法で自分の資産を増やしていき、最終的にはショッピングモールなどの大きな不動産まで手に入れ、家賃収入を得ていました。そんな義父の話を聞いて「不動産は勉強すれば手に入るんだ」と思ったことがきっかけでした。
(笠井編集後記)
翻訳という仕事は中にはその仕事でそんなに稼げていない人が多くだと思いますが、星野さんは翻訳の仕事だけで年商2000万円を10年間も達成されていました。特許翻訳という特殊分野で単価が高いことも稼げた理由になりますが、何より挑戦する姿勢や「やるしかない」と覚悟をきめていらっしゃったことも大きな要因だと思います。
来月は本格的に不動産投資に着手した星野さんに迫ります、お楽しみに!