(左側:熊谷和海さん)
今月から来月にかけて、お金に強い女性シリーズは経営コンサルタントの熊谷和美さんにインタビューします。
笠井
まずは熊谷和海さんのベストセラー作品「京都のおばあちゃんに学んだ お金の神さんに好かれる 5つの知恵」こちらの著作が海外で翻訳されるそうです。おめでとうございます!後ほどこの本の内容を紹介してくださいね。
熊谷 さん
笠井
では熊谷さんの自己紹介からお願いします。
熊谷さん
熊谷和海です。短大卒業後、22歳で結婚。結婚後も、OL、派遣、パートと様々な職種の仕事を経験しました。夫の転勤で各地を転々とするが そのたびに培ったキャリアや人脈、実績がリセットされゼロとなってしまうことに疑問を感じ、 もっと働きたかった会社から妊娠を期にリストラを告げられ起業を目指しました。
27才妊娠8ヶ月時に札幌で個人事業主からスタート。法人化してから 1年で売上げ7倍(1億7千万)3年で18倍(4億5千万)をまで会社を成長させ、 離婚を機に不動産投資を始め、約5億円の資産を有しました。
21歳の大学生の娘と12歳離れた小学生の9歳の娘がいるシングルマザーです。
今の仕事は、広告制作会社と経営コンサルタント業と投資家です。その他にもオンラインサロン、セミナー、女性起業家の起業コンサルタント、個人、企業のブランディング、経営幹部の育成など携わっています。
笠井
私も育成してほしい…(ボソっ)熊谷さんは私のメンターである江上の会社、株式会社オフィシャルインテグレートの立ち上げにも手伝って頂き本当に当時は助かりました。
熊谷さん
その際は私も大変勉強になりました。
笠井
熊谷さんが事業をはじめられたきっかけを教えて頂いてもよいですか?
熊谷さん
はい、私が20代の当時は「25歳ぐらいに結婚していないといきおくれる」と言われていた時代で短大を卒業してからの私のゴールは結婚でした。22歳で結婚した後、家庭に入り家計をサポートするために企業のカスタマーセンターのクレーム処理のパートに出てました。当時、夫は転勤族。パートに出ても夫の転勤で仕事を辞めてしまう事が多かっです。「これではキャリアも積めない…」このままじゃダメだと思ったタイミングで、妊娠したのです。早く子供が欲しかったので「これでママになれる、」今後落ち着いた生活ができるだろうと思っていたのですが…残念なことに流産してしまいました。
私は妊娠したことで職場を辞めていたので、再度職場に戻ってもまた最初の安い時給からのスタートです。「こんなことを繰り返していては、10年先の時給も安いままかもしれないと不安になり、手に職を持とう!」とその際に決心しました。当時(95年)はMacintoshを使う仕事がでてきて、版下からDTPへ移り変わる時代でした。これからはパソコンを使った仕事がくる、DTPとWebの技術を身に着けようとゼロから勉強をはじめました。25歳から半年間学校に行って学び、その後、大王製紙グループの印刷会社へ入社してDTPの実践を学びました。独立したのは、入社して1年後です。
笠井
入社して1年後って…チャレンジャーですね。
熊谷さん
ええ、27歳の時でした。というのが再び妊娠したのです。
ちょうど仕事が面白くなってきたところで、「初の女性管理職に」と上司に言われていたのですが、妊娠してしまったので当時は退職しか選択肢がありませんでした。
笠井
おお!初の女性管理職に、と言われていたのはすごいですね。
熊谷さんの何を会社は評価されていたのでしょうか?
熊谷さん
マネジメント力、チームをまとめる力を評価して頂きました。得意分野でもありましたね。
笠井
どこでそのスキルを身につけられたのですか?
熊谷さん
新卒で入った会社が金融会社だったのですが、そこの会社が最初の1年で支店長を育成するような厳しい会社でした。そこで入社時に幹部候補の特訓、通称、地獄の特訓という(苦笑)研修を受けたときに身に着けたものです。
管理職の仕事、マネージメントとは?ということを一通り学ばさせて頂きました。
笠井
話は27歳で独立した時に戻るのですが、たった1年で会社を辞めた後のDTPの技術や仕事を取ってくる方法など、、、どのようにされていたのですか?
熊谷さん
正直、たった一年で辞めることになってしまったのでデザイン力もそんなになく(苦笑)私自身、デザイン力や技術が追いついておらず当時は○と▲しか書けなかったんです。(苦笑) なので独立当時はデザイン力がある人や仕事が早くて確実な人と組んで仕事をしました。また、独立する時に会社に仕事を外注してくださいとプレゼンしました。私はその仕事に関して精通していたし、手間もかかるので大変なことも知っていました。しかし、たった1年で辞めることになり、前例のないことで会社の答えはNG。信頼関係を築くまでには至っていなかったのです。普通では絶対にムリでした。
でも、その会社で長く勤めていた女性とパートナーで仕事をすることを提案し、粘りました。彼女も妊婦さんで「この人とやるので仕事を下さい!」と会社に再三お願いし在宅で仕事をもらうところからスタートしたのです。
笠井
なるほど〜〜すごいです!!
熊谷さん
しかし一緒に仕事を組める人を見つけ、仕事を獲得したその矢先、主人の転勤で札幌へ行かなくてはならなくなりました。そこで当時出はじめたばかりのインターネット回線(ISDN)を使って仕事をさせてもらえないか再三の提案をします。東京と転勤先の札幌をインターネットでつなぎ、仕事をさせてもらうことになりました。当時の札幌は拓銀が破綻した時でとても不景気。そんな環境で東京と札幌をインターネットで繋げて仕事をする在宅ワーカーがいるということで、シティリビングという雑誌の表紙に出たことで話題になりメディアにもいろいろ取り上げられました。
そこから仕事の問い合わせがきたり、札幌での仕事の広がりや繋がりができました。札幌はすばらしいクリエイターが多い街で大きな仕事も安心してお願いできました。東京で取った仕事を全国の在宅ワーカーさんに振り分けていき、そうやって始めた仕事の初年度の売上は約2000万円でした。
笠井
初年度でいきなり2000万円とはすごい!
熊谷さん
新卒で入った会社の幹部候補の特訓を受けた時に、大きな仕事から取り組めと言われていたので数字に怖さがなかったのかもしれません。達成するために期間を決めて何をするか、チームで仕事をするために大事なことは何か。教えてもらったことは大きかったです。また独立する時、メンターに「月に車1台分稼げる自分を想像しなさい」と言われていて最初は「軽自動車ぐらい?」と思ったのですがその人が「フェラーリぐらいね」と言われ、びっくりしました(苦笑)そういう自分の想像以上の考え方を壊してくださる方がまわりにいらして、助言いただいたのもありがたい環境だったと思います。
笠井
チームでやるって大事ですよね。女性ってつい1人で頑張っちゃう人、多くないですか?
熊谷さん
大きな数字を達成しようと思ったら、チームでどうやって数字を目指すか、同じ志をもってどう楽しむか?そういうのは必要ですよね。
笠井
熊谷さんは、その幹部候補特訓を受けた20代で多くを学んだのですね。
熊谷さんは数字に強いから、習得が早かったのでしょうか?
熊谷
当時「25歳までに結婚」というがゴールだったので、仕事をしたくてもすぐ結婚のゴールが来ちゃうから、25歳まで色々やっちゃえ!と沢山のバイトをやりました。学生時代は20ぐらいのバイトをやりましたね。そうしていくうちに、何が自分の向き不向きがわかっていたのも大きいかもしれません。
笠井
結婚もしたかっけど本当は仕事も続けたかった、というのが本音でしたか?
熊谷さん
いえいえ、当時は結婚したら仕事は続けられないと思っていたし、ましてや起業なんて思ってもみませんでした。みんな家庭に入ると家や家族のために暮らすという印象だったので。

ちょっと話を変えたいのですが、熊谷さんは経沢香保子さんの女性起業塾の講師もされていましたよね?経沢香保子さんと女性起業塾の講師になったその経緯を教えてください。






熊谷さんのビジネスはこういった繋がりからも大きくなっていったのですね。


名だたる大手企業から仕事をとってこられたのはすごいですね…ちなみに紹介とかツテなどなく新規開拓として営業されていたのですよね、それは一体どうやって?


熊谷さんの関係構築力がすごいですね、そこにいけるか、またはお願いできるかって大きいですよね。


女性の結婚がまさにクリスマスケーキに例えられた時期を駆け抜けてきた熊谷さん。キャリアが積めない苛立ちを抱えながら行動した姿勢は素晴らしいと思います。